東日本大震災レポート(No.4) ~岩手県大船渡市~

 
 田原本町の柏田防災士から岩手県大船渡市でのボランティアレポートが届きました。
柏田防災士は、奈良県支部の役員でもありますが、今回は「うみもりの会」の一員として、5月3日~6日まで岩手県へ入られました。
以下、柏田防災士のレポートは以下のとおり。
東日本大震災が発生して以降、自分でなにかできないかと地元町役場の社会福祉協議会等に「義援金を送りたい」「支援物資を持って行きたい」等相談しておりましたが、”うみもりの会”の仲間から義援金・支援物資を持って岩手県大船渡市へ行く話を聞き、早速、参加いたしました。
まず、自分の地域や近隣の町(植村事務局長の協力)で支援物資(Tシャツ、化粧品、鍋、台所用品等)を集め、お陰さまで軽トラ1台、2tダンプ1台分集める事ができました。
また、この支援物資を中継地の京都まで運ぶ際には、奈良県支部の木村副支部長始め植村事務局長、南上次長にご協力頂きました。
5月3日、早朝に大船渡市に到着し、現地ボランティア佐々木さんの案内で被災地を回ることになりました。
臭い、静か、人がいない・・・
あるのは、グチャグチャになった建物だけ。
胸の締め付けられる思いでシャターを押したことを鮮明に思い出します。


その後、支援物資をおろして仕訳けに入るのですが、現地のボランティアスタッフの素早さに驚かされました。
碁石海岸というところでは、豚汁300食、子供向けの綿菓子などを食べてもらいました。

また、物資配布は、並んで時間を決める、というやり方で、服はハンガーにかけて自由に持ち帰りOK
とか、フリーマーケット風に並べておいて、自由に持ち帰りというスタイルでした。
皆さん、喜んで持ってかえられました。

支援物資の配布でユニークだったのは、おもちゃ!
子供向けのおもちゃなので、ビンゴゲームで配布。
鍋はじゃんけんで配布でしたが、ものすごい勢いで持って帰られてました。
90戸の内、3戸だけ助かったという地域では、豚汁300食、カレー300食用意。
途中、
「夕方、鍋を持って65人分お願いします。」
と、言われて右往左往・・・
現地スタッフとセッテングがうまくいかなかったのかも?
テントで現地の方と少し話をしましたが、
「ボランティアの人がVサインで写真を撮ってるのには、腹がたって、腹がたって・・」
と、申されてました。
現地では、被災した方のお家の片づけもしましたが、その家の方がこられて、涙を流しながらお礼を言って頂いたとき、胸にグットきました。
6日、大船渡から気仙沼を回って帰ってきましたが、気仙沼で、一人の娘さんが倒壊した自宅の前でで、ずっーと立ち続けておられた姿が今も心に残ってます。
最後に、私たちの宿泊場所(公民館)を現地と交渉して用意して下さった千葉(現地消防勤務)さん、この支援行動を企画された菊谷さんには言葉で言い表せないくらいお世話になりました。
ありがとうございました。
◆ 炊き出し
5月3日、大船渡市碁石海岸  豚汁300食、綿菓子他
5月4日、大船渡市赤崎町  豚汁300食、カレー300食
5月5日、大船渡市「福祉の里」 綿菓子

東日本大震災レポート(No.3) ~仙台市内避難所~

 
 天理市の藤本昭広防災士からレポートが届きました。
藤本防災士は、柔道整復師として宮城県仙台市内の避難所5ケ所を柔道整復師、助手の5名で回って、主に避難者の治療を行ってこられました。
以下、藤本防災士のレポートを掲載します。
<訪問日時>
平成23年5月23日(月)~25日(水)
<訪問した仙台市内の避難所>
宮城野区、宮城野体育館(避難者数 265名)
 〃   、田子市民センター(避難者数 94名)
 〃   、高砂市民センター(避難者数 112名)
 〃   、岡田小学校(避難者数 220名)
若林区、荒町市民センター(避難者数 39名)
※ 避難者の数字は、4/30現在
<届けた救援物資>
衣料品 ダンボール22箱
新米 60K、缶詰他 ダンボール3箱

上記5ケ所にて、柔道整復師として、のべ94名の方の治療を行いました。
長い避難生活で、足・腰・膝などを痛められてる方が多いことに驚きながらも、治療をさせて頂きました。
加えて、県や市行政への様々な要望をお聞きしたので、宮城県防災課へ報告をいたしました。

<避難者の方々の声>
避難所では、木材・コンクリート等のガレキ除去や、家屋倒壊の処理等で多くの人の支援を求められておられました。
今のままでは、自宅に戻ることもできない。
また、これから季節が夏に向かうので、新たに夏物の衣料等も必要、との意見を多く聞きました。
私が防災士と聞き、救援活動を通して各地域で防災活動に頑張ってほしい、との声も頂きました。

今後、防災士=救援活動を通じて、防災士としての役割を果たしていきたいと思います。

東日本大震災ボランティアレポート(No.2) ~気仙沼~

 

 東日本大震災で現地へボランティアとして参加した山口防災士(広陵町)からレポートが届きました。山口防災士は奈良県が募集した「災害ボランティアバス」で気仙沼市へ行かれました。
以下、山口防災士のレポートを掲載します

平成23年5月20日(金)~23日(月)にかけて、現地2泊車中2泊で宮城県気仙沼市へ奈良県災害ボランティアバスに参加した。

 気仙沼市は、宮城県の北東端に位置し、東は太平洋に面し、南は宮城県本吉郡南三陸町、西は岩手県一関市、藤沢町、北は陸前高田市に接する。

(1)市の面積は、333.37平方キロメートル、人口は、73,363人※平成23年3月末の住民基本台帳から

(2)被害状況

 死 者 数    905人(5月1日現在)

 行方不明者数 1,008人

 市内の避難所数   58か所

 避難者数   5,250人(4月28日現在)
5月20日(金)18時30分に近鉄高の原駅を出発し、名神自動車道、北陸自動車道、新潟から磐越自動車道、郡山から目的地の東北自動車道一関ICまでの約930kmを13時間かけ気仙沼市へ

 

 さて、一関市から気仙沼市へは、班ごとにレンタカーに乗り換える。ヘルメット、ゴーグル、サージカルマスク、作業着、長靴に着替え、作業荷物を積んだら出発だ。作業着の上には、奈良県の災害ボランティア隊名入りのベストを着用する。班長は、黄色のベストで我々はオレンジ色のベスト、県のスタッフは、黄緑色のベストだ。サージカルマスクは、建物の倒壊でアスベストが舞っているので付けるよう指示があった。また、長靴は釘などを踏み抜け防止のために鉄板敷きを推薦されていた。ボランティアセンターでは、けがによる破傷風を心配している。

 

 一関市から気仙沼市へは、レンタカーで50kmを約1時間かけて現地へ向かう。行き先選定は、仙沼市ボランティアセンターが、被災者宅の希望と災害ボランティアの希望とを結ぶあわせる役目をしている。これをマッチングという。目的地の住所をナビに入力し、ナビに従ってひたすら走るのみである。現地ではトイレがないので、途中のコンビニでトイレを借りた。店長に話を伺うと、「あと20分も車で走ると、津波に襲われた街が見える。」とのことであった。

 

 突然、テレビや新聞で見たことはあるが、現実に流された材木、家、ひっくりかえった船、車など壊滅した気仙沼市街が見えてきた。そして、5人が一斉に「えー、」と絶句してしまった。

 車は9時に目的地へ到着した。私たちの任務は、被災された佐藤さん宅の泥だしだ。佐藤さんのお宅は海から1kmぐらい離れているが、津波に流され家はない。あるのは、家の土台だけだ。そして、庭には、近くの水産加工会社から流れてきた生ワカメの入った約10kgのダンボール箱がヘドロとともに散乱している。付近をよく見ると青いビニール袋がいたるところに散らばっている。この青いビニール袋の中に生ワカメが入っているのだ。もう2か月以上経っているので、腐って蛆がわいている。腐った生ワカメの臭いもものすごいものだ。

 本日は、4班20名が佐藤さんのボランティアをすることになった。

今日は、快晴で気温が高いせいか、ヘルメットから汗がぼとぼとと落ちていく。サージカルマスクの中も汗で息苦しい。蛆のわいた生ワカメの袋を4台の手押し車にのせて次々とゴミ捨て場までもっていく。20人で5時間かけて佐藤さんの家は見る間にきれいに片付いた。

佐藤さんの10m上の隣家は津波の被害を受けていない。津波が襲った場所とそうでない場所とでは、雲泥の差があるのだ。津波が襲った家は壊滅である。

泥の中から出てきたアルバムや賞状は、家族にとっては思い出の品物である。

汚れているからと判断して勝手に処分してしまわないことだ。

 午後3時に佐藤さんの奥さんに作業状況を見てもらい、次回も依頼したい時は、ボランティアセンターへ申し出る。ボランティアセンターから借りた道具があればセンターへ返し、作業終了報告をして、すべての作業が終了となる。

 現地にはトイレがないので、休憩時間に車でコンビニ等のトイレを借りなければならない。4班のお昼の休憩場所は、国道45号線沿いの「花の道」というパーキングエリアにした。そこは敷地内に仮設気仙沼警察署と屋外トイレ、外で昼食がとれるテーブルとイスがあったのでちょうどよかった。

 

3 2日目のボランティア

 2日目は、昨日と代わって、朝から雨が降っていた。1、2、4班の15名は、気仙沼市内のコーポ渡辺へ、 3班は、みのや商店へという予定であったが、雨のため両方ともいったんキャンセルとなった。そして、ボランティアセンターに9時に集合し、再マッチングすることとなった。ボランティアセンターでは、個人ボランティアが全国から集まっている。ボランティア登録をすませ、背中に自分が望むボランティア作業を書いたゼッケンをガムテープで貼っている。たとえば、「そうじ」、「泥だし」などと書かれたゼッケンを見て、マッチングがおこなわれる。

ボランティアセンターには、全国の社会福祉協議会の職員が交替で詰めており、センターのスタッフが、依頼主の家まで車で送ってくれる。センターのスタッフは、送迎、巡回、道具の配達などを通じて、依頼者のニーズとボランティアの進み具合をチェックしているのだ。ちなみにセンターで、道具の貸借担当の腕には、「大阪府柏原市社会福祉協議会」と書かれていた。


我々15名は再マッチングの結果、結局コーポ渡辺へ行くこととなった。

コーポ渡辺は、気仙沼湾から700m離れているが、2本の川に挟まれており、津波は川を遡上し襲ってきた。コーポ渡辺は、2階建て6戸の共同住宅で、1階3戸が津波の被害にあった。

2階の床まで津波が来たといっていた。所有者の渡辺さんは70歳ぐらいの方で以前まぐろ船に乗っていたという。3月11日当日、ここのコーポ渡辺にいた時に地震に遭い、テレビのニュースで大津波が来ることを知り、一目散に高台へ避難したという。幸い、コーポ渡辺の住民の方も無事であったということであった。

 渡辺さんがボランティアを頼んだのは、これが3回目で、街中の道路やコーポ渡辺の周囲も木材やがれきで埋まっていたという。2ケ月かかってやっと道路もコーポの周りもがれきが撤去できたのだという。

 

 コ-ポの床は剥がされて、石灰が蒔かれてあった。我々の作業は、1班1戸ずつに窓ガラス、網戸、壁を清掃することだ。2階には、避難所へ行くより自宅の方が良いと住民が住んでいる。しかし、下水が復旧していないので、あまり流さないように市から指導を受けているそうだ。さっそく窓ガラス、網戸を外し、石けんで洗ったが、レールやサンの間に泥が詰まり、水の力で吹き飛ばせなければ取れない。窓ガラスもガラスが割れて変形している。玄関ドアも変形して閉めることができない。本日は4時間かけて清掃をすることができ、渡辺さんも喜んでいただいた。

 渡辺さんに、「コーポの写真をとってもいいですか?」と聞くと「ええ、いいですよ。」といってくれたが、写真撮影には、注意が必要だ。私は、休憩時間に津波が遡上した川の写真を撮っていたが、「被災者の方の家は写さないようにしてください。」と付近の方の忠告を受けた。被災者の家を撮るつもりはないが、カメラをもってうろちょろするのは誤解を受けそうでやめておいたほうがよさそうだ。

 

 最後に

 東日本大震災で被害を受けられた方々にお見舞い申しあげますとともに、これから大変ですが復興を願っています。

 今回、長い復興の道のりの中のほんの2日間お手伝いさせていただいた。ここで得た体験を関西でも伝え、さらなる支援を広めたいと思う

東日本大震災ボランティアレポート(No.1) ~石巻市~

さる5月3・4日、奈良県支部の植村事務局長、南上次長、奥田次長が「技術系ボランティア」の一員として、石巻市へ入りました。
現地の様子をボランティアレポートととして掲載します
また、井上教育・研修部長は、奈良市の募集したボランティアの一員として気仙沼市へ、柏田幹事は岩手県へ入りました。今月末には、教育研修部会の山口委員が奈良県が募集したボランティアとして現地へ向かうことが報告されてます。
事務局へレポートが届き次第、東日本大震災レポートとして掲載します。
(以下、植村事務局長のレポートから)
写真は、石巻市渡波地区から牡鹿半島の集合場所へ向かう途中の集落です。
海岸線にある集落は、このように全滅状態です。
集合場所までは3・4カ所の集落がありましたが、全てこのように壊滅でした。
「生き残った人、何人いるのか?」
と、言葉を失いました。
現地の方の話では、牡鹿半島は、これまで本格的なボランティアが入ることなく見のがされてきた地域のようで、今回が初めてと聞きました。
集合場所は、小積浜と聞いていたのですが、このような壊滅状態なので、今、どこにいるかもわからず、カーナビだけが頼りという状況でした。



今回のボランティアは、漁具の回収と被災した家屋のかたづけ、床下のヘドロ除去と分かれて行うこととなっており、私どもは、震災でボコボコになった道を、ここからかなり奥に入った集落「狐崎浜」へ向かいました。
そこで、防衛大学学生ボランティア5名、外国人4名とともに港の近くのKさん宅の家財道具の片づけと床下のヘドロ除去作業を行いました。


無事、被災者宅のヘドロ除去、家具の持ち出し作業を終えたのち、お家のご主人と握手をして別れたのですが、このご主人、笑ってボランティアの方々へお礼をのべられてたのですが、目が笑ってないんです。
実に悲しそうな目だったのが印象的でした。
この後、同じルートで石巻市へ向かったのですが、途中、渡波地区へ来てビックリ!
写真のように、道路が冠水してました。


道路でこの様子ですから、海沿いの民家は床上浸水でしょう!
今回、ボランティアに参加して、あまりの惨状に言葉を失いましたが、出来るだけ多くの人がこの現実を目に焼き付けておくべきではないか?
と、強く感じております。
一番いいのは、ボランティアとして活動することですが、ボランティアでなくとも、旅行でも、どんな形でもいいので、現地をおとずれるべき!
という感想を持った一日となりました。

岩手・宮城県支部、福島県支部(準)への義援金について<中間報告>

 
 防災士会奈良県支部として取り組んでおります防災士会東北3県支部(福島県支部は未結成)への義援金活動ですが、5月2日現在、104,000円となりました。
 防災士の皆様や、主旨に賛同する方々のご協力の賜物と考え、厚くお礼申し上げます。
ご協力ありがとうございました。
 ただ、現地では、今も、被災しながらも活動されている防災士の仲間がいることを思えば、引き続き支援活動を続けて行くことが必要とされており、奈良県支部としても継続して取り組んでいく所存であります。
 さて、日本防災士会へ連絡したところ、宮城県支部では、被災後に役員会を一度開催したようですが、県支部として活動できる状況にはなく、防災士個々が自分の地域で頑張ることを確認するのが精いっぱいのようとのことでした。
また、福島県支部は県支部が未結成で防災士個人が頑張っているようです。
 奈良県支部といたしましては、被災地の状況が許すならば、現地へおもむき激励行動も兼ねて義援金を手渡しできれば、と考えておりましたが、まだまだそのような状況にはないようです。
今後、本部とも相談しながら支援活動を進めてまいりますが、当面は、引き続き義援金活動を継続してまいります。
 奈良県支部の皆様のご協力をお願いし、現段階での中間報告といたします。

奈良市が「災害支援ボランティア募集」

 
奈良市が災害支援ボランティアを募集しています。
東日本大震災により被災された地域へ復旧・復興支援災害ボランティアです。
◇活動期間
1、4月27日(水)~5月1日(日)
2、4月29日(金)~5月3日(火)
3、5月 1日(日)~5月5日(木)
4、5月 3日(火)~5月7日(土)
5、5月 5日(木)~5月9日(月)
※いづれも4泊5日(車中泊2日含む)
◇参加条件
この災害支援ボランティアへ参加するには、いくつかの条件がありますので、奈良市役所(協働推進課)で確認の上、申し込んで下さい。
奈良市在住・在勤の防災士会会員で参加条件に該当する方は積極的に参加して下さい。
但し、参加はあくまで個人参加となりますのご注意下さい。
詳しい問い合わせ先は、奈良市 市民活動部 協働推進課まで
電話 0742-34-5193
FAX 0742-34-5194
奈良市ホームページ
http://www.city.nara.nara.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1302858145110&SiteID=0000000000000&ParentGenre=1302748565688

被災地でがんばる防災士なかまへの支援を!

 
 奈良県支部では、支援活動の第一弾として、被災しながらも現地でがんばる”防災士”なかまへ義援金を募ることにいたしました。
すでに様々な団体や個人で取り組みがなされておりますが、同じ防災士として、現地で頑張っている”防災士なかま”への思いを届けるために会員の皆様の積極的な支援・協力をお願いします。
 今回は、特に被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県の支部へ義援金を贈りたいと考えており、会員の皆様をはじめ、知人・友人の方へ呼びかけて下さい。
絶大な支援と、協力をお願いいたします。
◇ 義 援 金    一口 1,000円
◇ 振込先口座    口座番号(郵便口座)  00990-3-143990
◇ 加 入 者 名   日本防災士会奈良県支部
◇ 義援金贈り先  岩手、宮城、福島の3支部(但し、本部と協議の上決定します)
※ 注意事項  手数料は、振込人負担となりますので、ご理解下さい。
また、被災地の状況が許せば、直接、現地へ義援金を持参し、激励行動及び災害復旧ボランティア活動を行うことも検討しております。
但し、あくまで被災地支部の状況次第となります。

東日本大震災 ~初めて体験する超広域災害に対して~

今回の東日本大震災で亡くなられた方、被災された方々へ心からお見舞い申し上げます。
奈良県支部といたしましては、地震発生当初は、被災地以外の民間ボランティアが多数駆け付けることは、公的機関である警察、地元自治体や消防関係者、災害復旧に全力をあげる自衛隊などの救援活動の妨げになることや、支援活動は長期に渡って必要になること、ボランティア活動のニーズは今後、どれだけ広がっていくか想像もつかず、公的機関はもとより、民間ボランティアの総力をあげて取り組む必要があるという日本防災士会の考えに基づき、今後の推移を見守りながら必要な対応を考えていくことといたしておりました。
「なにかできることは?」「なんとか力になりたい」という思いを形にする方法は様々であります。ボランティアとして現地で被災者の手助けをする方法もあれば、必要な物資やお金を被災者の方へ届ける方法もあります。

 

今回、日本防災士会本部からの情報によれば、被害の大きかった岩手県支部、宮城県支部、福島県支部の3支部をはじめ、茨城、青森、秋田、長野、新潟、千葉、東京都各区支部では、自ら被災しながらも現地で支援活動を行われている防災士の方々が多数おられます。
このような経過から本部とも連絡を取り合いながら3月末に役員会を開催し、被災者支援活動の考え方を以下のとおりといたしました。
◇被災地支援活動への考え方
被災地は救助活動からライフラインの復旧、さらに生活の復興へとステージが変化してます。
被災地支援活動は、もとよりボランティア活動ですから、会員個々の皆さんの自主判断、自己責任で行って頂くことが原則となります。
私たち防災士は、「被災された方の役に立ちたい。」という思いからお手伝いするものとし、被災者が迷惑と感じる場合は、直ちに中止するものとします。
1、各自が義援金をする
2、防災士会で義援金を募る
3、奈良県及び近隣市町村が受け入れる被災者に対するボランティア
しかし、地元支部の状況、他団体の動き等、できるだけ情報提供したいと思います。
奈良県支部会員の皆様をはじめ、関係各位さまの情報提供をお願いします。
◇被災地でボランティア活動を行っている”技術系ボランティア黒沢さん(ブログ「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」)”から写真提供を頂きました。


被災前の公共施設

被災後の公共施設


避難所でのボランティアの様子

東日本大震災レポートNo9(事務局通信から)

 東日本大震災レポートNo9号(事務局通信)が届きました。
全文を以下のとおり掲載します。
 東日本大震災=レポート №9(2011.3.31)=
日本防災士会事務局
■ いまできること
各地で支援活動に取り組んでおられる皆様に感謝申し上げます。
事務局には、毎日、さまざまな情報が寄せられ、お問い合わせもたくさんいただいております。
改めて、確認させていただきますと、現在われわれが取り組み可能である活動としては次のようことがあると考えられます。
(1) 被災地への直接的な支援活動(被災地入りしてのボランティア活動)
(2) 各支部地元に設置された避難所への支援活動
(3) 物資その他の支援活動
(4) 節電等、エネルギー、物流の正常化への協力
(5) 地域の防災態勢の見直し強化
(6) その他(被災地への手紙等々)
すでに多くの防災士が、それぞれの属する組織等を通じて被災地入りしています。日本防災士機構・日本防災士会合同対策本部では、4月中旬以降の東北地方現地支援活動(千葉県、新潟県、長野県は実施済みまたは実施中)を実施する予定で準備中です。バスで30 名ほど突然押しかけてきてクレームを招いた自称ボランティアの集団もあったとのことです。受け入れていただけるための調整が重要です。個人として参加される場合は、現地ボランティアセンターに登録して活動してください。
物資については、おおむね各地の県庁等も受け付けを終了しつつあると思います。これからはランドセル(メーカーや郵便局長会などが手配中)、文房具、補聴器などをはじめとするさまざまな個別ニーズに対応していくことになります。現地で仕分けするのは困難であり、発送する側で仕分け・整理を完了して送るのが礼儀とされています。
また地域の防災態勢の見直し、とくに海岸線を有する自治体での津波防災対策の検証は急務です。しっかりと地に足を付けた地道な防災啓発活動も重要です。
■ 募金活動等に留意してください
 今現在、タレントなどの著名人をはじめ、さまざまな人々、団体が募金活動を実施しています。なかには悪質な詐欺行為もあると報じられています。募金活動を実施することは否定しませんが、くれぐれも誤解を招かないよう、趣旨および最終寄贈先(日赤、NHK,その他の公的機関)を明確にしてください。防災士個人または防災士会単独による個別訪問形式の募金活動は、もっとも誤解を招きやすく、適切ではありませんので、厳に慎んでください。(中央募金会、赤十字社、自治会、管理組合等として行う場合は、必ず他の〈非防災士の〉役員と一緒に行動するよう努めてください)。
■ 「空白地」作らない支援を ~被災地入りボランティア活動本格化~
道路開通の知らせが続く東北地方での、官民あげての被災地入りボランティア支援活動が本格化しました。
◎ 東京都が都民ボランティアを派遣決定
東京都では、4月5日(火)~11日(月)までを「第1期」として「都民ボランティア」を宮城県に派遣することを決定しました。大型バス、宿泊スペース(屋根のある場所を用意したいとのこと)・寝袋を提供する予定ということで、現地入りの交通費や宿泊費の負担、受け入れ先との調整を東京都が行うというものです。過去の被災地支援では考えられなかった措置であり、今回の大災害への支援の大きな一助になるものと思われます。
詳細を知りたい方は下記サイトをご参照ください。
東京都庁東北地方太平洋沖地震に伴う都民ボランティアの派遣について
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2011/03/20l3t700.htm
東京ボランティア・市民活動センター 募集要項
http://www.tvac.or.jp/news/21062.html
◎ 「東日本大震災支援全国ネットワーク」設立総会を開催
3月30日、東京平河町の日本青年会議所JC会館において141 団体の代表者が一堂に会し、「東日本大震災支援全国ネットワーク」設立総会が開催され、未曾有の東北関東大震災に立ち向かい被災地支援活動を行う決意を共有しました。
代表の一人に選ばれた栗田暢之氏(NPO法人レスキューストックヤード代表理事)は「われわれは情報と知恵の窓口となろう。『連携する』と言葉だけですませてはならない。
各団体が支援活動を行っている情報を地図上で共有し、フラッグの立たないところがないようにしていこう」と力強く呼びかけました。
また、総会に出席した辻元清美・内閣総理大臣補佐官は「NPO,NGOと役所では『言語』が違う。両方知っている私は通訳の役割を果たしたい」と挨拶しました。
当会の支援活動を実施するに当たり、このネットワークに集約される情報にも留意して、活動を進めたいと考えています。
同ネットワークのアドレスは次の通りです。http://www.jpn-civil.net/
■ 支部の活動紹介(事務局にお寄せいただいた情報の一部より)
◎ 埼玉県支部
さいたまスーパーアリーナ、川口西スポーツセンターの避難所で支援活動を実施。木船支部長をはじめ毎日数名が参加して、本部業務、巡回、給食支援等に当たっている。
◎ 茨城県支部
取手市は「語らいの里」他2か所で福島県南相馬市の市民約150名を受け入れ。茨城県支部では関根副支部長をはじめ8名が救援物資仕分けに従事。また竜ヶ崎市の要請に基づいて、避難所(たつの子アリーナ/福島県いわき市から避難)開設、受け入れの支援活動を実施。
◎ 千葉県支部
川崎副委員長、大島事務局長を中心に、旭市(津波被害甚大)でボランティアセンター立ち上げの時期から社会福祉協議会と連携して、瓦礫の撤去、清掃活動等を実施。
◎ 新潟県支部
長野県北部地震で被害を受けた十日町市でボランティア活動を実施。メーカーと協力し、要請に基づき宮城県へ栄養補助食品を搬送。JCに加盟している会員は車で宮城県内に物資搬送を行った。
◎ 兵庫県支部
兵庫県と連携し、救援物資集積等に取り組んでいる。郵便局長会にもよびかけ。染川直寛防災士が21日にJPR(日本国際救急救助支援会)のメンバーと合流し被災地支援に出発。
◎ 山口県支部
宇部市ならびに市民団体と協働して支援体制を構築。対応にあたっている。
※ どうしても情報が東日本に偏りがちです。中部、西日本方面の皆様の情報をお寄せください。
■ メディアに掲載された会員の活動・意見をpdf ファイルで添付しました。
                                                     -以 上-

東日本大震災レポートNo8(事務局通信より)

 東日本大震災レポートNo8が届きました。
全文を掲載します。
東日本大震災=レポート №8(2011.3.24)=
日本防災士会事務局
■交通規制の解除について
今朝、東北道、磐越道等の一部区間の通行規制が解除となりました。ご参考までにお知らせいたします。
本通知は、追って警察庁ホームページに掲載されるものと思います。
広報資料 平成23 年3月23 日
警察庁緊急災害警備本部
平成23 年東北地方太平洋沖地震に伴い実施している交通規制の全面解除について
1 概要
東北道、磐越道等の一部区間において平成23 年3月22 日午前10 時より実施してきた緊急通行車両及び大型自動車等以外に対する通行禁止規制が全面解除されます。
(理由)
東北道白河IC~本宮IC間の応急復旧が完了したため
2 解除時刻
平成23 年3月24 日(木)午前6時
3 留意事項
今後、緊急通行車両確認標章の交付は行われません。
なお、山形道(西川IC~月山IC間)等に通行止め区間があるほか、宮城県内の三陸道鳴瀬奥松島IC~登米東和IC間(約45km)は交通規制があります。
(本件担当 交通規制課)
■ 福島県内の交通情報
福島県警の話によると、福島県内の交通規制は「ない」とのことです。
自己完結であれば入れるとのことです。〈3.24 AM11:35 確認〉
■ 参考情報・福島県の状況
防災士研修講座の常任講師の方からの現地レポートです。個人的判断が入っていますので、お名前はあえて伏せさせていただきます。
〈以下、引用〉
昨日、田村市の避難所の一つ”田村市総合体育館”行ってみました。650名ほどが避難されています。
田村市は地震・津波被害はほとんどなく、原発の影響で大熊町民が避難してきています。ここ以外に、9箇所あり、22日時点で2830名の方が避難生活をされています。
避難生活。とても劣悪な環境に愕然としました。ゴミと一緒に生活をしています。
下記、気づいた点
・ゴミ置場が部屋の中にある。部屋の中は生ゴミの臭い。
・うがい薬の設置がない(手洗い、うがいをしましょうの張り紙あり)
・ボランティアセンターと称して受付に張り紙がある。生活の場所との区別がない。
・人も、物も整理されていない。
・自衛隊がお風呂を設置していたが、若くて元気な人が先に入り、高齢者などは遠慮しているのか入らない。
ここの体育館のみに自衛隊がお風呂を設置しているため、すべての避難所から入浴にくる。一週間に2回は入れればよいほうだと…。それなのに、高齢者は入れない。
・食事はいまだに救援物資のパンとカップめん。
・お邪魔したのは13時ごろなのに、布団(毛布)が敷かれたままの状態
・人の入室管理が甘い。誰が避難者で、誰がボランティアか?よくわからない。
・プライバシーもない。
・トイレの掃除を行なっているのか?
まだまだいろいろと気になるところがありますが、ここの支援をしているのが大熊町民と一緒に避難している大熊町行政職員、田村市は地元の活動を邪魔しないようにしていると言うことらしいのですが、きっと体調を崩す人が続出します。
とても危機感を感じています。
田村市社協事務局長などに提案し、改善策をお願いしました。大熊町職員と顔が見える関係が出来ていると言う田村市社協職員がいました。
避難所運営の経験がなくこちらの提案にはじめてきがついたようです。
このようなものだと思っていたとの返答。大熊町の保健師さんや看護職員などいるは
ずだと思いますが…。
それから、日本看護協会が他県には看護師の派遣をするのに、福島県には派遣しないと決定したとの連絡に地元職員をはじめ、私も憤りを感じています。地元出身者のみの派遣だそうです。
自己完結できる人は本当に欲しいです。ガソリンがなくきめ細かな動きが出来ないのです。まだ全体像も見えていない。一般道での給油は無理です。今日から高速が一般に開放されるので、給油もスムーズに出来るのか心配です。
避難所運営も出来ていない(勿論、上手く行なっているところもあります)地域を回ることも出来ていない。
ガソリンがないため、物流がほとんどストップしている状態で、被害に遭わなかった住民が、食べるものがな く避難所にもらいにきているところもあるようです。
みなさん、福島に来てください。人手がないのと移動が出来ないことで、対応が遅れています。ガソリンはいつ福島に届くのでしょう?
災害対策本部との連携も良くない。情報は県職員が朝礼と終礼に入っていますが、取り次ぐだけで役割を果たしてくれていません。
ここの改善をしたいと思います。
〈引用、終わり〉
いたずらに危機感をあおるつもりはありませんが、被災地の深刻さについては、さまざまな情報が一致しているところです。
支援活動ができる方は、冷静に、着実に、準備をお願い申し上げます。
(支援活動は自由意志に基づき、自己責任、自己完結にてお願い申し上げます)
各支部、会員の方々が多様な活動を実施中です。
随時お知らせする予定です。
- 以上 -