伊藤東洋雄防災士(支部監査)が復興支援で気仙沼へ

 来る2月1日、伊藤東洋雄防災士:支部監査(王寺町)が災害復興支援の臨時職員として宮城県へ赴任されることになりました。任期は2年で、赴任先は宮城県気仙沼市です。
 現地では、主に土木技術者として復興支援にあたられます。
ご高齢(72才)にも関わらず、被災地での復興支援に向かわれる伊藤防災士の心意気に敬意を表すとともに、万全の体調管理と、無事、責務を果たされんことを心から願いつつ、支部の皆様にご紹介します。
 以下、伊藤防災士からのメッセージを全文掲載します。
「宮城県へ復興支援に行くにあたって!」 
 この度、東日本大震災で壊滅的打撃を受けたインフラ復興のため宮城県に赴任することになりました。
 日本防災士会奈良県支部では、皆様と一緒に色々な活動や勉強をさせて頂き、ありがとうございました。厚くお礼申しあげます。
 宮城県では、やらなければならない復興事業が多いのに、それに携わる技術者が足りなくて困っているという現状を知り、土木技術者の一人として何かお役に立ちたい、との思いから職員募集に応募しました。宮城県から気仙沼市に派遣が決まり、主に下水道事業の復興(計画・設計・施工管理)に携わることになります。
 生れてから関西より北では生活した経験がなく、土地勘もなく、気候風土もわからない上、2年間という長期間を全うできるか不安もありますが、被災者の皆様と一体となって、できるだけ早く正常な生活を取り戻せるよう微力を尽くしたいと考えています。
 今後とも、ご指導・ご鞭撻よろしくお願いします。

 


                 防災士 伊藤東洋雄(王寺町)

野迫川村で天体観測会

さる6月29日、野迫川村中学校横の空き地で「天体観測会」が行われました。 この天体観測会は、長引く仮設住宅暮らしに少しでも役立てばと北股地区住民の皆さんを対象に、三郷町在住の西川防災士(支部役員)が企画し実現したものです。 この天体観測会には、北股仮設住宅に暮らす皆さんを始め多くの住民の方が訪れ、月のクレーターや土星の輪などの天体ショーを楽しみました。

天体観測の準備をする西川防災士
天体観測の準備をする西川防災士


望遠鏡をのぞく野迫川の子供たち

望遠鏡をのぞこうと順番待ちをする子供たち 曇り空の夜7時から始まった天体観測は、しばらくすると雲も薄れ、月のクレーターや土星の輪がはっきりと見え、中でも”こと座の1等星ベガ”のダイヤモンドのように輝く姿に参加者はうっとり・・ また、非常に珍しいとされる人工衛星が3回も肉眼で確認できるなど野迫川の夜を堪能しました。 この天体観測に訪れた高齢者は、「長生きはするもんやの~、こんなん見せてもろて・・・」 と、感動された様子で、しばし仮設住宅での不自由な生活を忘れられた様子。 親子ずれ、家族ずれの方の姿も多くみられ、楽しい一夜のひと時となりました。 (取材:植村信吉)

野迫川村応援「温泉ツアー」報告

さる5月20日、防災士会奈良県支部磯城郡ブロック主催で野迫川村応援「温泉ツアー」を行いました。このツアーには、磯城郡在住の防災士の他、県内の防災士、主旨に賛同した方々17名が参加し野迫川村へ向かいました。

野迫川村では、まず仮設住宅を訪問し、地元の中本区長さんから仮設住宅の現状や皆さんの様子などを聞かせて頂きました。

この後、被災地(北股地区)へ向かいました。
偶然、農作業をされていた地元の方から、当時の様子や今の暮らしぶりなどを聞くことができました。
ただ、この北股地区は、今も避難指示が発令されたままで、住民の方は朝から夕方までは地区へ入れますが、夜は立ち入り禁止制限があるそうです。

この後、ホテル野迫川で昼食・入浴を済ませて、ホテルの支配人から少しお話を聞かせて頂きました。
支配人からは、「風評被害で観光客が激減しています。今日来ていただいた皆さんから、野迫川村は大丈夫!ぜひ野迫川へいきましょう・・」と、話して頂ければ嬉しいですとの言葉がありました。
ホテルでは、訪問記念として参加者がそれぞれの思いを寄せ書きに書き込み支配人に手渡しました。
支配人からは、「一番目立つ所に貼ります!」と大変喜んで頂きました。

この後、被災地の北股地区を一望できる場所があると聞いて、龍神スカイライン方面へハードな林道を上って土砂くずれの様子を視察しました。

右下の方が北股地区になります。
こうして見ると、いかに土砂くずれの規模が大きかったのかが良くわかります。

今回は、通常考えられるボランティアと違いますが、比較的高齢な方でも、家族でも気楽に復興・復旧支援行動ができるということを実感した一日となりました。

 

宮城県からサンマとワカメが野迫川村へ

さる10月13日(木)、宮城県女川からサンマ、宮城県石巻市十三ケ浜からワカメが届きました。
このサンマとワカメは、奈良県支部が台風12号による土砂ダムに伴い、今もなお避難所生活を余儀なくされている野迫川村北股地区での炊き出し支援行動において、被災地をつなぐ営みとして東日本大震災の被災地でがんばる方々の”思い”と”元気”を届けるべく企画したものです。
奈良県支部では、9月末に木本支部長と木村副支部長が義援金を持って宮城・岩手両県を訪問した経過もあり、宮城県支部へ今回の支援行動の趣旨を説明の上、協力を依頼したところ、宮城県支部の快諾を得て実現しました。その際、宮城県支部からは、宮城県女川では、壊滅的な被害を受けながらも被災した方々が懸命に立ち上がって頑張ってる!ことなどを聞き、当日の炊き出し支援行動では現地避難所の方々へ報告しました。
少しは、宮城の現状と頑張る”元気”を届けられたと思っております。
なお、今回、サンマとワカメを送っていただく際、お世話をいただいた宮城県支部の仲間から現状の報告や経過の説明が届いてますので、そのメールを一部抜粋して紹介します。

<宮城県支部からの報告>

・・・・・女川に「マリンパル女川」という町のシンボル的存在の観光施設がありました。・・・・県の報告では、再建は8年後になるとのこと。それでは、その間どうすればいいんだ、働く人も、買いに来てくれる人もいなくなってしまうと、立ち上がったのが、マリンパル女川にお店を出していた海産物店「山昭(やましょうさん)」です。・・・・1ケ月前、運よく土地が見つかったので、一気にマリンパルの仮店舗の計画を進め、10月8日に「マリンパル女川仮店舗、おさかな市場」をオープン!
亡くなった方も多いので、お店の数は前の半分になりましたが、オープン3日間は、女川への道が渋滞するほどの大盛況。
当初、無謀だといわれた計画、設備も整ってませんが、
やればできる!
今、なんだ!
の一念で頑張ったそうです。・・・・・

(宮城県支部黒田防災士のメールから一部抜粋)

 

 ・・・・石巻市北上町十三が浜はワカメ、昆布等の海産物の産地で、北上川の豊富なミネラルと太平洋の早い海流が交わる地域で、全国的に良質の物と知られております。
 その地域に住み、漁業を生業としている会員がおりまして、この度の震災津波により自宅、漁具他一切の財産をなくしましたが、幸いにも、家族とも無事に生き延びることが出来ました。今回のわかめは、運良く山手に保管してあった方の、今年度生産分最後の品物だと言っております。
 私は、震災津波当日は、自宅にて、真黒の海水に追われる様に、一階から二階に避難しました。
自宅後ろの道路では、その海水により、鉄道用コンテナ、乗用車、パレットにすがって流されてくる
大人と子供、ただ呆然として見ている事しか出来ませんでした。幸いその方たちは、消防により救助されておりました。当日は雪も降り、寒くて暗い海水一面の中で、一夜を過ごしました。
・・・・・私たち夫婦はまだ被災者の仲でも、被災程度が低い方だと、状況が分かるにつれ、知るようになったのです。翌日の夜、避難所に入ることが出来ましたが、寒く、眠れない夜を何度か過ごしながら、自宅に入ったヘドロを片付け、改修に至って・・・・避難所、仮設住宅生活と、大変な思いを背負って生活していられる方々の、少しでもお役に立てればとの思いで活動継続しています。                  (宮城県支部高森防災士のメールから一部抜粋)下の写真は被災直後のマリンパル女川の様子です

下の写真は、仮設のマリンパル女川おさかな市場です

最後に、先月の訪問時や今回の炊き出し支援行動に際して、前面協力を頂いた宮城県支部の皆さんへ厚くお礼申し上げます。
避難所では、サンマやワカメの経過を説明し、美味しく食べていただきました。
ご協力ありがとうございました。

宮城・岩手両県支部へ義援金を届けました

  
 

 これまで奈良県支部では、被災地でがんばる東北3県支部へ活動資金を!と、呼びかけて取り組んできました。


 今回、宮城県支部・岩手県支部が活動を再開していると聞き、激励行動の一環として9月22日(木)~24日(土)にかけて両県支部を訪問し、義援金を届けました。なお、福島県については、支部が未結成であることや原発被害で各防災士がバラバラに避難していると聞いていることから今回は見送りとしました。


当日は、仙台空港で宮城県支部役員の方々の熱烈な歓迎を受け、その後空港の被災箇所、名取、仙台市内の被災地区の視察を行いました。続いて、市内で宮城県支部が贈呈式を準備して下さっていたこともあり、木本支部長ともども出席いたしました。先ず、高坂宮城県支部長より挨拶あり、「遠路はるばる東北にお越しいただいた・・・」等、感謝の弁で開会し、和やかな雰囲気の中で義援金を贈呈しました。また、今後も各支部協力し合ってこのネットワークを活用し、各支部の発展と防災士としての使命を果たすことを確認しました。


 翌日、石巻、南三陸町の被災地経由で岩手県宮古市を目指しましたが、途中通行止めなどで何回も行く手を阻まれることになりました。これは震災で陥没したところへ、先日からの台風で降った雨で道路や崖崩れの為に通行できず、結果、約2時間遅れの到着となり、岩手県支部の皆さんにはご心配をかけることになりましたが、無事に宮古に着くことができました。


到着後、山崎岩手県支部副支部長から田老町にある世界一と称された防波堤の崩壊現場で当時の様子、津波の威力、被害状況の説明を受け、あらためて被害の大きさや深刻さを知ることになりました。また同時に、役場の防災担当職員として日夜努力されていることを聞くにつけ頭が下がる思いでいっぱいになりました。


 最終日は盛岡経由で帰途となりましたが、この3日間で感じたことは仙台市周辺のクローズアップされない地域が多く、この震災は想像を絶する被害であったことを再認識させられた事。福島原発事故の早期終息と地域によっては復興が手付かずの状態で放置されている地域もある事です。


国を挙げての1日でも早い復興を願うとともに、防災士としてなにができるのかが問われた訪問となりました。


 


             防災士 木村尚史(奈良県支部副支部長)

野迫川村避難所で炊き出し

さる10月13日(木)、奈良県支部は、野迫川村の土砂ダムによる警戒区域指定に伴い避難所生活を余儀なくされている北股地区の皆さんに炊き出しを行いました。
今回の炊き出しは、植村事務局長と縁のあった野迫川中学校長から「長期に渡って避難所生活をされている・・・」と連絡が入り急きょ計画をしました。当日は、13名(防災士11名、支援・協力者2名)が参加し、昼食(サンマ、ほうれん草のおひたし、味噌汁)、夕食(おでん、味噌汁)の炊き出しを行いました。
また、同じ炊き出しをするのであれば、防災士会のネットワークで東日本の被災地、宮城県女川からサンマ、石巻市十三ケ浜のワカメを送ってもらい、東日本大震災で被災しながらも頑張ってる女川や石巻の人達の”元気”を届けられればと考え宮城県支部へ協力要請を行い実現しました。

写真は、宮城県女川から送られたサンマです。

当日は、NHKなら放送が取材に来ており、炊き出し支援をする私たち奈良県支部をはじめ、避難生活を送る避難所の方々へのインタビューを行っており、当日の18時10分から始まるNHKニュースの「ならナビ」で防災士会奈良県支部の炊き出し支援の様子が放送されました。
また、この取材テープは宮城県へも送られたようで、当日の夜のニュースで放送されたと宮城県支部から連絡があり、宮城県支部からもお礼の電話がありました。

下の写真は、取材や炊き出しの様子です

木本支部長からは、避難所のみなさんへの思いや、今後も支援を続けていくことなどを話し、避難されてる方々からは、感謝の言葉が寄せられました。
下の写真は、炊き出しに参加された方々です。

最後に、片付けも終了し、参加者が車に乗って帰路に着く時、避難所の方々が見送りに出てこられ、
口々に「ありがとうございました」と、言って見送っていただきました。
この姿に、参加者全員が、今後も継続した支援をする決意を固めた一日となりました。

<炊き出しに参加した方々>

◇防災士
木本喜信(奈良市)、植村信吉(三宅町)、南上敏明(天理市)、奥田 仁(香芝市)、柏田勝幸(田原本町)、池田 勝(三宅町)、田上靖洋(三宅町)、高木忠雄(奈良市)、高岡宏芳(河合町)、松尾 修(大和郡山市)、藤本昭広(天理市)
◇支援物資提供・炊き出し協力者
源 尚子(調理師:天理市)、吉崎義之(田原本町)

<支援物資及びカンパ>

山口精肉店(三宅町)、有限会社琢磨瓦店(三宅町)、大久保喜治(奈良市)、藤本昭広(天理市)

東北3県支部(宮城・岩手・福島)への義援金について

 
 東日本大震災発生以来、支部会員へ呼びかけてきました東北3県支部への義援金は、本年9月15日現在、133,000円となりました。
 この義援金は、9月22日~24日にかけて木本支部長、木村副支部長が宮城県、岩手県を訪問し、両県支部へ手渡すことになりました。
 また、本年総会で承認頂いたとおり、集まった133,000円に昨年度予算から167,000円を加え宮城・岩手県支部へ各150,000円を義援金として手渡します。
なお、福島県支部については、県支部が未だ未結成であること及び、原発被害等で各防災士がバラバラに避難生活を送っているとの情報を得ているため、今回は見送りといたします。
 奈良県支部会員の皆様のご協力に心からお礼申し上げます。

東日本大震災レポート(No.7) ~南三陸町、気仙沼~

桜井市の山辺辰雄防災士から「復興支援ボランティアツアーに参加して」と題してレポートが届きました。
以下、山辺防災士からのレポート全文を掲載します。
<復興支援ボランティアバスツアーに参加して>
◇ と き   平成23年8月19日~22日(車中泊2日、現地1泊)
◇ ところ   宮城県南三陸町、気仙沼市(大島)
東日本大震災発生後、義援金を送金していたが、共助の必要性と微力ながら現地でボランティア活動を行いたいと思ってました。
大阪のNPO団体が企画した「復興支援ボランティアバスツアー」を新聞で知って参加しました。
参加者は、19才の若者から67才までの男女40名です。
行先は、宮城県南三陸町、気仙沼市大島です。
南三陸町の被災地では、震災から5ケ月が経っているにも関わらず、市街地が津波の猛威で荒廃し、ガレキの山ばかりが目立ちます。
復興が遅れている印象を受けました。

テレビで見たあの「防災対策庁舎」は、ガレキが取り除かれ、焼香台の前では訪れた人が手を合わせておられました。

◇ 気仙沼での被災状況
港から見える市街地は、ガレキの山と壊れた家屋が沢山ありました。
◇ 大島地区の被災地とボランティア活動
大島は、気仙沼の飛び火で山火事になり、全島避難の危機もあったそうです。
避難するにも船も焼けてなく、一時は大変だったのですが、みんなで力を合わせて消し止めたそうです。
また、津波が島全体に押し寄せて甚大な被害を受けたそうです。

この気仙沼の大島は、気仙沼に浮かぶ周囲22キロ、面積9㎢の島で、陸中海岸国定公園に指定されており、リアス式海岸の美しい「緑の真珠」と呼ばれるほどの美しい島です。
ここでのボランティア活動は、甚大な被害を受けた島の復興のため、気仙沼市大島災害対策本部の指導の下、民家のガレキ撤去を行いました。
作業内容は、燃えるゴミ、木材、金属類、コンクリート殻などに分別し、トラックに積み込むまでの作業となりました。作業は、おおむね完了しました。

今回、ご一緒した対策本部の担当者の方は、お父さんが未だ行方不明だが、悲しんでばかりはいられないので、復興のために頑張ってる、と申されてました。
今回、ボランティア活動をとおして感じたことは、同じ思いを持って取り組むことの大切さや、心のつながりを感じました。
若い人たちもこの被災状況を目に焼き付け、何かを学びたいと言ってました。ボランティア活動に参加し、多くの人に伝えて、ボランティア活動の輪が広がってほしいものである。
また、被災地の方々は、ボランティア活動に感謝されてましたが、ボランティア以外にも、被災地の観光や、物産を買ってもらうことでも復興につながると言ってました。
三陸海岸は、過去にも江戸、明治、昭和と津波の被害を受けている地区で、津波の水位の掲示など過去の教訓を生かして防災に取り組んでいる。
それでも甚大な被害を受けた!
昔から、「災害は忘れたころにやってくる!」と言われている。
私たちは、日々防災訓練等を行い、さらに防災意識を高め、減災に取り組む必要を痛感した。

東日本大震災レポート(No.6) ~JP部会、石巻市~

 木村防災士(JP部会)から石巻市でのボランティアレポートが届きました。
以下のとおり掲載します。
<奈良県支部JP部会ボランティア活動報告>
◇ と き 平成23年6月22日~24日
◇ ところ 石巻市(敬愛病院)
今回、防災士会JP部会(中和郵便局長会)として被災地支援ボランティア活動を計画し、宮城県石巻市へ向かいました。
このボランティア活動には、奈良県支部(奥田英副支部長、植村事務局長、南上事務局次長)の協力と支援を頂き、宮城県石巻市内で病院施設内の民家での家財道具・ヘドロ除去活動を行いました。
今回のボランティア活動では、石巻漁港近くの病院施設での活動となりましたが、強烈な悪臭とハエとの戦いとなった活動でした。


写真の黒い点々は、全てハエです。
現地に向かう途中、マイクロバスのタイヤがバーストするというアクシデントがあったものの、
現地の方から、たびたび、
「雨が降ってますが、来てくれますか?」
との電話を頂いたこともあり、私たちのボランティア活動に期待をされてることをかみしめながら作業を開始しました。
家の中は、全て下の写真のような状態でしたが、近隣の住居もほぼ同じで、津波被害の大きさに参加者全員が衝撃を受けることとなりました。
作業は、10時30分位から開始し、外回りと部屋の片づけの2班に分かれて行いました。
外回りは、おおむね片付いたのですが、家の中は子供部屋や台所を残すことになりましたが、ボランティアの原則通り、無理をしないということで、現地の責任者の了解を得て午後4時前に修了しました。






翌日、石巻市の牡鹿半島から女川町へ車を走らせて被災状況の視察を行いましたが、女川町では津波の猛威を実感させられることとなりました。
下の写真は、女川町の中心部です。


途中、3階建てのビルが横倒しになってるのも目撃し、コンクリートのビルが横倒しになるとは・・・
と、衝撃的な光景を目の当たりにすることになりました。



また、女川町では、小さなテントに折りたたみテーブルに少しの商品を並べながら「負けないぞ!女川!」と、手書きの張り紙で商売を再開された被災者の姿を目撃し、目が熱くなるのを覚えながら帰路に着きました。
今後、この体験と現実を一人でも多くの人に知ってもらわなければ・・・
と、決意を新たにするボランティア活動となりました。

東日本大震災レポート(No.5) ~陸前高田市~

 奥田仁防災士から陸前高田市でのボランティアレポートが届きました。
以下、奥田防災士からのレポートを掲載します。
<奈良県ボランティアバス 第2クール、第3回バスに参加して>
奈良県災害ボランティアバス概要

 

 

行き先 岩手県陸前高田市

 

日程  平成2371日(金)~4日(月)現地活動2日(車中2泊、現地1泊)

 

参加者 奈良県スタッフ 3名 参加者 20

 

 

 

 今回、奈良県主催の災害ボランティアバスに参加させていただき、岩手県陸前高田市に被災地支援に行かさせていただきました。

 

 

 

 20名を54班に分け、活動初日は、全部の班で老舗醤油会社に隣接した民家の側溝の土砂出しでしたが、通常の土砂出しとは違い、土砂の中にはガレキだけではなく醤油会社から津波で大量に流れてきた醤油の小瓶から大瓶まで混じっていて、掘り起こすのに瓶を割ってしまうと醤油にハエなどが大量に群がり苦労しました。

 

 作業は予定より早く終えましたが、作業の途中で被災者の方より地域の歴史を詳しく聞く事ができ、いろいろと交流がもてたのではないかと思います。

 

 作業2日目は、畑に散乱した屋根の一部や鉄くず、損壊した道路のアスファルトなどの撤去、草刈りなどでしたが、ここでは新潟県燕市から来られたボランティア団体の方々と合同作業で、いろいろと協力しあえたお陰で思っていた以上に早く作業を終える事ができ、お昼休みには、燕市の方々や被災者の方々と交流がもてました。



 

 

 

まだまだ被災地には支援が必要です。GWに宮城県石巻市に行かせてもらい、今回は岩手県陸前高田市と行かせてもらいましたが、これで終わるのではなく機会をみて再度被災地支援に行きたいと思います。