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「災害とボランティア」 講演会の案内

  「災害とボランティア」~被災地での支援活動~と題して、防災講演会が開催されます。
 この講演会は、未曾有の被害をもたらした東日本大震災、奈良県を襲った台風。
そのとき、被災者のニーズはどのようなものだったのか?
そして、ボランティアはどう動き、どのような支援が生まれたのか?
一緒に考えてみよう!
と、生駒市・生駒市社会福祉協議会が共催で開催されるものです。
生駒市内在住、在勤の防災士の皆さんや、このテーマに興味のある生駒在住・在勤の皆さんの積極的な参加をお願いします。
◇ と き 平成24年2月4日(土)、13時30分~16時まで
◇ ところ 生駒市コミュニティーセンター(生駒セイセイビル4階)
<演題> 「災害とボランティア」 ~被災地での支援活動~
<内容> 13時30分~
               講演 「災害ボランティアセンターが果たす役割、人・物資・情報の拠点」
         講師  県社会福祉協議会 前坂良彦さん  
     14時30分~
     報告  報告者  生駒市社会福祉協議会 松本道治さん
              写真家 三田祟博さん(生駒市在住)
              防災士 植村信吉さん
     質疑・応答~
◇ 参加対象  生駒市民及び生駒市在勤者、市内で公益活動をされてる方他
◇ 定員  100名 (申込順)
◇ 参加費  無料
◇ 申込み 平成23年12月26日(月)から
◇ 申込み先  生駒市民活動推進センター「ららポート」まで
            FAX 0743-75-0151
            E-mall lalaport@city.ikoma.lg.jp
※ 詳しい事、問い合わせは、「ららポート」まで
         電話 0743-75-6000
  
                 

野迫川村避難所での炊き出しボランティア緊急募集の案内

 

 奈良県支部では、土砂ダムの影響で現在も避難所生活を余儀なくされている野迫川村北股地区住民への支援行動として下記の日程で「炊き出し」を行います。今回は防災士会宮城県支部の協力で女川町のサンマを届けてもらい、避難されている方々に食べてもらう予定です。


 この支援行動へ参加する防災士ボランティアを下記のとおり募集します。



○ と  き  10月13日(木)、午前7時30分集合
○ 集合場所  三宅町役場南側駐車場
○ 活動場所  野迫川村山村振興センター
○ 活動時間  午前7時30分~午後9時頃
○ 申込み先     電話 090-8655-7182(南上まで)     
        FAX   0745-56-5817

<活動内容>
 避難所での「炊き出し」昼・夜の2回(昼は焼きサンマ他、夜はおでん)  炊き出し後の食器の片付け、食器洗いまで 


<募集人数>


参加者募集人数は、10名~15名程度です。  定員になり次第締め切ります 


<参加費>


 一人3,000円(すべて食材購入費にあてます) 


<参加者が用意するもの>


 調理に適した服装。軍手・タオル・防災士腕章・防災士帽子・保険証・免許証など。但し、食材購入、調理器具は、事務局及び現地で用意しますが、後日、別途参加者へ物品や車の提供などを依頼する場合があります。その時は、ご協力下さい。
注意:現地、野迫川村の夜は冷え込みます。参加される方は、あったかい服装でお願いします。
 


<ボランティア保険>


 ボランティア保険に加入しますので、事前に氏名・生年月日・性別・血液型・連絡先をお教え下さい。

台風12号に伴う集中豪雨被害に対して

 



台風12号による豪雨で、当県南部地域の市町村では大きな被害が発生しました。現地では、自衛隊・警察・消防や行政が必死で対応をされている最中であります。


私ども奈良県支部も、直ちに奈良県へできる限りの協力することを申し入れたところであり、すでに防災士の有志はボランティア活動などに参加をしております。


現在、被災地へ向う道路の復旧が進められておりますが、大規模な土砂崩れや、土砂ダムの決壊の恐れなどから、今なお避難所生活を余儀なくされている地区は数多く残っており、今後、支援活動は、極めて幅広く、長期にわたって必要となることが推測されます。


このような状況下、防災士の役割を再認識し、防災士仲間の皆さんの積極的な協力・支援を呼びかけるものであります。


県内の各防災士は、行政や社協、県民や被災地の市民・町民・村民が困っている時こそ協力すべきです。


 より一層の奮闘をお願いします。


 


 


 


被災地支援活動への考え方
 
被災地は救助活動からライフラインの復旧、さらに生活の復興へとステージが変化していくことが予測されますが、当面は、被災家屋のかたづけや避難所での運営補助や炊き出しなど様々な形でボランティアが求められます。奈良県支部の皆さんの積極的な支援活動をお願いします。


なお、被災地支援活動は、もとよりボランティア活動ですから、会員個々の皆さんの自主判断、自己責任で行っていただくことが原則となります。


私たち防災士は、「被災された方々の役に立ちたい。」という思いからお手伝いするものとし、被災者が迷惑と感じる場合は、直ちに中止するものとします。


なお、防災士会奈良県支部は、
○ 被災地在住・在勤の防災士
○ 奈良県及び被災自治体並びに社協
○ 被災地自治会や自主防災組織など
関係機関から要請があった場合は、奈良県支部として呼びかけて取り組むこととします。


今日現在、十津川村や天川村在住の防災士は、現地で頑張っております。
今後、地元の状況や他団体の動き等、できるだけ情報の提供を行いますが、各防災士の皆さんからも情報を寄せてください。
日本防災士会奈良県支部 支部長 木本喜信

台風12号による豪雨被害状況 No3

 
 天川村の西前防災士(JP和田局長)から、
1、広瀬地区の避難所で下着類が不足してるらしい
2、避難所の食事がインスタントが多いと聞いた
との連絡が入りました。
現地のボランティアセンターや災害対策本部を無視して対応することはできない、との考えがありましたが、とにかく、支援物資として下着類を調達した上で現地との調整をすることになりました。
10日朝、下着や着替えなどの支援物資が調達できたので、木村副支部長が現地へ入り西前防災士に下着類などの支援物資を届けました。
また、12日には、植村事務局長が現地の避難所へ入り、現地スタッフと打ち合わせを行いました。
<以下、植村事務局長からの報告です。>
現地へは、西吉野村から林道を経由して向かいました。
まず、西前防災士から現地の状況説明を受け、避難所となっている「籠山センター」へ向かい、現地スタッフの方から避難所の現状をきkました。
スタッフの方の話では、
当初は、電気などのライフラインが停まっていたので、洗濯などができずに困っていたこと。食事もパンやカップメンなどでしのいでいたが、現在は、電気も通ったので避難所(調理施設が整っている)で調理し、食事も普通の食事の提供ができる。
材料は、役場から届けられている。
ただ、鮮魚や生鮮食品は不足しがち。
近隣の方々が差し入れをしてくれるので現状は大きな問題はないが、避難されている方々は70才台80才台の高齢者が多いとのことでした。
植村事務局長からは、「依頼があれば、炊き出しなど必要な支援の提供する用意がある」ので、いつでも申し出てほしい旨を伝えて、今後は、炊き出しなどの日時について連絡を取り合っていくことの了承を頂きました。
ただ、電気の供給は電源車2台でまかなっているので、今後も安定した供給がされるのか不安が残っているようです。
崩落現場へは西前防災士の案内で向かうことができました。
現場までの道路には、このような大木が横たわっており、少し前までは、もっと多くの木が横たわっており通行できない状況でしたが、現在は、このように通れるようなったとのことでした。

下の写真は、天の川にあるダムの様子です。

同じ所から上流を取ったのが下の写真です。
聞けば、このダムの高さは20mあったそうですが、土砂の流入で埋まってしまってダム湖は消滅し、普通の川になってます。

土砂崩れの現場は「立ち入り禁止」になってますが、西前防災士の案内で近くまで行くことができました。

崩落は約800mにわたってるそうで、この上流部分にも数箇所崩落箇所があるとのことでした。
雨が降ると土石流の恐れもあることから、下流域には、いつ「避難指示」が発令されてもおかしくない状況のようです。
また、現在避難指示が発令されている広瀬地区は、急傾斜地にあるそうですが、地区内に亀裂が走っており、まだ、帰宅のメドはたっていませんが、現在、一時帰宅の検討がされている模様です。

台風12号に伴う豪雨被害状況 No2

 

 今回の台風12号による奈良県南部地域での被害について、県内防災士の皆さんをはじめ、多くの方々にご心配頂いていると推測いたします。


さる9月9日、支部の植村事務局長と南上次長が天川村へ入りましたので、天川村の状況をお伝えします。



 天川村では、河北防災士(JP天の川局長)から現地の状況を聞くことができました。また、村のボランティアセンターへの訪問と一部被災地へも向いましたが、崩落個所へ入ることはできませんでした。



今回の豪雨では、役場のある河合地区から下流で被害が集中しているとのことです。

(下流域とは、天川村から五条市大塔地域へかけての地域です)

添付した写真は、偶然道でであった方から提供頂いたものです。

わかりにくいですが、赤い鳥居のしたまで水が迫ってます。

もう一枚の写真に映ってる赤い鳥居の高さと比べるて下さい。






9日現在、下流域にある広瀬地区はがけ崩れの恐れがあるとして「避難指示」が発令中で、地区の住民は公民館等へ避難してます。また、孤立地域は、数地区残っております。

天川村の下流域にある西前防災士(JP和田局長)、のいる地区も孤立状態です。

この地域へは、林道経由(かなり危険な道)でR168へ出る道のみが通行可能ですが、通行制限が行われており入ることはできませんでした。

孤立地域への支援物資は、林道軽油や徒歩でなんとか届くようになったそうです。


今日現在、「避難指示」が出されてる一部地域以外は、「避難勧告」は解除されるそうですが、役場の確認はとれてません。


また、天川村のボランティアセンターでは、防災士会としてできることがあれば?

と、申し入れを行いました。

今日から奈良県が募集したボランティアバスが現地へ入ってますが、明日、明後日は定員(100名)に達したとのことです。

私ども奈良県支部の有志も明日からボランティアとして向います。



<電話>

一部地域を除いて、固定、携帯とも復旧中

<電気>

一部地域を除いて、かなり回復

<水道>

簡易水道は、順次復旧中

<公共交通機関>

天川村から洞川地区(女人禁制の山がある地域)までは6日より運行

なお、別路線は、河合地区止め

<学校>

来週から開始予定

<ゴミ>

6日から、試験運行


なお、孤立している地域の西前防災士から「広瀬地区の住民は高齢者が多い」「着の身着のままで避難所にきてるので、着替え、特に下着がない」との話(電話)を受けて、現在奈良県支部で調整中!




 十津川村の情報ですが、先ほど奈良県に確認したところ、五条市大塔地区のう回路から先ですが、まだ役場までの間には数ヵ所通行不能箇所があるようです。
(R168号なのか、各地区へ向かう村道なのかは確認できず)

また、地区単位で孤立する集落もかなりありますが、今日現在、少しずつ解消に向かってるとのことでした。

ただ、テレビでも報道してるように自然ダム(特に赤谷地区)の決壊の恐れが大きく、その対策が優先されていると聞きました。
 下流域の地域は、「避難指示」が発令されてるので人的被害はないかと推測してますが、家屋などの被害が心配なようです。
10日現在、五条市大塔地区からのう回路は、道路に亀裂が発見されたので通行できませんが、R169号から下北山村方面からのう回路が開通したようです。

孤立集落などへの支援物資ですが、現在は、物資が行き届くようになっており、村役場からはお礼と、物資は足りているとの連絡が入ってるようです。

「東日本大震災支援報告会」の案内

 
 平素は日本防災士会奈良県支部の活動に、ご協力頂きありがとうございます。
さて、今回、支部から会員の皆様にご案内が届いたと思いますが、下記の日程で「東日本大震災支援報告会」を開催いたします。
さる3月11日の東日本大震災を受けて、奈良からも被災地に奈良県支部の防災士が支援に向かいました。
 今回は、その「報告会」を開催いたします。
 現地で支援活動を行った”防災士”の思いや活動をぜひお聞き頂きたいと考えております。
また、これから支援ボランティアに向かわれる予定の方や、諸事情で現地に向かえなかった方がたも、この機会を生かしていただければと考えております。
 多数のご参加をお待ちいたしております。
◇ と  き  平成23年9月25日(日)、13時~16時
◇ ところ   奈良市防災センター(2F会議室)
◇ 参加対象  一般公開
◇ 参加費  200円(資料代として)
  ※ 参加される方は直接会場へおこし下さい。
<講演者募集の案内>
 今回、防災士会員で被災地へボランティア活動及び支援活動をされた方で、講演(報告)希望の方は下記のところまでご連絡下さい。
 なお、報告者の講演(報告)時間は、一人又は一団体30分とさせていただきますので、ご協力をお願いします。
  連絡先  090-8655-7182(南上まで)

東日本大震災レポート(No.6) ~JP部会、石巻市~

 木村防災士(JP部会)から石巻市でのボランティアレポートが届きました。
以下のとおり掲載します。
<奈良県支部JP部会ボランティア活動報告>
◇ と き 平成23年6月22日~24日
◇ ところ 石巻市(敬愛病院)
今回、防災士会JP部会(中和郵便局長会)として被災地支援ボランティア活動を計画し、宮城県石巻市へ向かいました。
このボランティア活動には、奈良県支部(奥田英副支部長、植村事務局長、南上事務局次長)の協力と支援を頂き、宮城県石巻市内で病院施設内の民家での家財道具・ヘドロ除去活動を行いました。
今回のボランティア活動では、石巻漁港近くの病院施設での活動となりましたが、強烈な悪臭とハエとの戦いとなった活動でした。


写真の黒い点々は、全てハエです。
現地に向かう途中、マイクロバスのタイヤがバーストするというアクシデントがあったものの、
現地の方から、たびたび、
「雨が降ってますが、来てくれますか?」
との電話を頂いたこともあり、私たちのボランティア活動に期待をされてることをかみしめながら作業を開始しました。
家の中は、全て下の写真のような状態でしたが、近隣の住居もほぼ同じで、津波被害の大きさに参加者全員が衝撃を受けることとなりました。
作業は、10時30分位から開始し、外回りと部屋の片づけの2班に分かれて行いました。
外回りは、おおむね片付いたのですが、家の中は子供部屋や台所を残すことになりましたが、ボランティアの原則通り、無理をしないということで、現地の責任者の了解を得て午後4時前に修了しました。






翌日、石巻市の牡鹿半島から女川町へ車を走らせて被災状況の視察を行いましたが、女川町では津波の猛威を実感させられることとなりました。
下の写真は、女川町の中心部です。


途中、3階建てのビルが横倒しになってるのも目撃し、コンクリートのビルが横倒しになるとは・・・
と、衝撃的な光景を目の当たりにすることになりました。



また、女川町では、小さなテントに折りたたみテーブルに少しの商品を並べながら「負けないぞ!女川!」と、手書きの張り紙で商売を再開された被災者の姿を目撃し、目が熱くなるのを覚えながら帰路に着きました。
今後、この体験と現実を一人でも多くの人に知ってもらわなければ・・・
と、決意を新たにするボランティア活動となりました。

東日本大震災レポート(No.5) ~陸前高田市~

 奥田仁防災士から陸前高田市でのボランティアレポートが届きました。
以下、奥田防災士からのレポートを掲載します。
<奈良県ボランティアバス 第2クール、第3回バスに参加して>
奈良県災害ボランティアバス概要

 

 

行き先 岩手県陸前高田市

 

日程  平成2371日(金)~4日(月)現地活動2日(車中2泊、現地1泊)

 

参加者 奈良県スタッフ 3名 参加者 20

 

 

 

 今回、奈良県主催の災害ボランティアバスに参加させていただき、岩手県陸前高田市に被災地支援に行かさせていただきました。

 

 

 

 20名を54班に分け、活動初日は、全部の班で老舗醤油会社に隣接した民家の側溝の土砂出しでしたが、通常の土砂出しとは違い、土砂の中にはガレキだけではなく醤油会社から津波で大量に流れてきた醤油の小瓶から大瓶まで混じっていて、掘り起こすのに瓶を割ってしまうと醤油にハエなどが大量に群がり苦労しました。

 

 作業は予定より早く終えましたが、作業の途中で被災者の方より地域の歴史を詳しく聞く事ができ、いろいろと交流がもてたのではないかと思います。

 

 作業2日目は、畑に散乱した屋根の一部や鉄くず、損壊した道路のアスファルトなどの撤去、草刈りなどでしたが、ここでは新潟県燕市から来られたボランティア団体の方々と合同作業で、いろいろと協力しあえたお陰で思っていた以上に早く作業を終える事ができ、お昼休みには、燕市の方々や被災者の方々と交流がもてました。



 

 

 

まだまだ被災地には支援が必要です。GWに宮城県石巻市に行かせてもらい、今回は岩手県陸前高田市と行かせてもらいましたが、これで終わるのではなく機会をみて再度被災地支援に行きたいと思います。

東日本大震災レポート(No.4) ~岩手県大船渡市~

 
 田原本町の柏田防災士から岩手県大船渡市でのボランティアレポートが届きました。
柏田防災士は、奈良県支部の役員でもありますが、今回は「うみもりの会」の一員として、5月3日~6日まで岩手県へ入られました。
以下、柏田防災士のレポートは以下のとおり。
東日本大震災が発生して以降、自分でなにかできないかと地元町役場の社会福祉協議会等に「義援金を送りたい」「支援物資を持って行きたい」等相談しておりましたが、”うみもりの会”の仲間から義援金・支援物資を持って岩手県大船渡市へ行く話を聞き、早速、参加いたしました。
まず、自分の地域や近隣の町(植村事務局長の協力)で支援物資(Tシャツ、化粧品、鍋、台所用品等)を集め、お陰さまで軽トラ1台、2tダンプ1台分集める事ができました。
また、この支援物資を中継地の京都まで運ぶ際には、奈良県支部の木村副支部長始め植村事務局長、南上次長にご協力頂きました。
5月3日、早朝に大船渡市に到着し、現地ボランティア佐々木さんの案内で被災地を回ることになりました。
臭い、静か、人がいない・・・
あるのは、グチャグチャになった建物だけ。
胸の締め付けられる思いでシャターを押したことを鮮明に思い出します。


その後、支援物資をおろして仕訳けに入るのですが、現地のボランティアスタッフの素早さに驚かされました。
碁石海岸というところでは、豚汁300食、子供向けの綿菓子などを食べてもらいました。

また、物資配布は、並んで時間を決める、というやり方で、服はハンガーにかけて自由に持ち帰りOK
とか、フリーマーケット風に並べておいて、自由に持ち帰りというスタイルでした。
皆さん、喜んで持ってかえられました。

支援物資の配布でユニークだったのは、おもちゃ!
子供向けのおもちゃなので、ビンゴゲームで配布。
鍋はじゃんけんで配布でしたが、ものすごい勢いで持って帰られてました。
90戸の内、3戸だけ助かったという地域では、豚汁300食、カレー300食用意。
途中、
「夕方、鍋を持って65人分お願いします。」
と、言われて右往左往・・・
現地スタッフとセッテングがうまくいかなかったのかも?
テントで現地の方と少し話をしましたが、
「ボランティアの人がVサインで写真を撮ってるのには、腹がたって、腹がたって・・」
と、申されてました。
現地では、被災した方のお家の片づけもしましたが、その家の方がこられて、涙を流しながらお礼を言って頂いたとき、胸にグットきました。
6日、大船渡から気仙沼を回って帰ってきましたが、気仙沼で、一人の娘さんが倒壊した自宅の前でで、ずっーと立ち続けておられた姿が今も心に残ってます。
最後に、私たちの宿泊場所(公民館)を現地と交渉して用意して下さった千葉(現地消防勤務)さん、この支援行動を企画された菊谷さんには言葉で言い表せないくらいお世話になりました。
ありがとうございました。
◆ 炊き出し
5月3日、大船渡市碁石海岸  豚汁300食、綿菓子他
5月4日、大船渡市赤崎町  豚汁300食、カレー300食
5月5日、大船渡市「福祉の里」 綿菓子

東日本大震災ボランティアレポート(No.2) ~気仙沼~

 

 東日本大震災で現地へボランティアとして参加した山口防災士(広陵町)からレポートが届きました。山口防災士は奈良県が募集した「災害ボランティアバス」で気仙沼市へ行かれました。
以下、山口防災士のレポートを掲載します

平成23年5月20日(金)~23日(月)にかけて、現地2泊車中2泊で宮城県気仙沼市へ奈良県災害ボランティアバスに参加した。

 気仙沼市は、宮城県の北東端に位置し、東は太平洋に面し、南は宮城県本吉郡南三陸町、西は岩手県一関市、藤沢町、北は陸前高田市に接する。

(1)市の面積は、333.37平方キロメートル、人口は、73,363人※平成23年3月末の住民基本台帳から

(2)被害状況

 死 者 数    905人(5月1日現在)

 行方不明者数 1,008人

 市内の避難所数   58か所

 避難者数   5,250人(4月28日現在)
5月20日(金)18時30分に近鉄高の原駅を出発し、名神自動車道、北陸自動車道、新潟から磐越自動車道、郡山から目的地の東北自動車道一関ICまでの約930kmを13時間かけ気仙沼市へ

 

 さて、一関市から気仙沼市へは、班ごとにレンタカーに乗り換える。ヘルメット、ゴーグル、サージカルマスク、作業着、長靴に着替え、作業荷物を積んだら出発だ。作業着の上には、奈良県の災害ボランティア隊名入りのベストを着用する。班長は、黄色のベストで我々はオレンジ色のベスト、県のスタッフは、黄緑色のベストだ。サージカルマスクは、建物の倒壊でアスベストが舞っているので付けるよう指示があった。また、長靴は釘などを踏み抜け防止のために鉄板敷きを推薦されていた。ボランティアセンターでは、けがによる破傷風を心配している。

 

 一関市から気仙沼市へは、レンタカーで50kmを約1時間かけて現地へ向かう。行き先選定は、仙沼市ボランティアセンターが、被災者宅の希望と災害ボランティアの希望とを結ぶあわせる役目をしている。これをマッチングという。目的地の住所をナビに入力し、ナビに従ってひたすら走るのみである。現地ではトイレがないので、途中のコンビニでトイレを借りた。店長に話を伺うと、「あと20分も車で走ると、津波に襲われた街が見える。」とのことであった。

 

 突然、テレビや新聞で見たことはあるが、現実に流された材木、家、ひっくりかえった船、車など壊滅した気仙沼市街が見えてきた。そして、5人が一斉に「えー、」と絶句してしまった。

 車は9時に目的地へ到着した。私たちの任務は、被災された佐藤さん宅の泥だしだ。佐藤さんのお宅は海から1kmぐらい離れているが、津波に流され家はない。あるのは、家の土台だけだ。そして、庭には、近くの水産加工会社から流れてきた生ワカメの入った約10kgのダンボール箱がヘドロとともに散乱している。付近をよく見ると青いビニール袋がいたるところに散らばっている。この青いビニール袋の中に生ワカメが入っているのだ。もう2か月以上経っているので、腐って蛆がわいている。腐った生ワカメの臭いもものすごいものだ。

 本日は、4班20名が佐藤さんのボランティアをすることになった。

今日は、快晴で気温が高いせいか、ヘルメットから汗がぼとぼとと落ちていく。サージカルマスクの中も汗で息苦しい。蛆のわいた生ワカメの袋を4台の手押し車にのせて次々とゴミ捨て場までもっていく。20人で5時間かけて佐藤さんの家は見る間にきれいに片付いた。

佐藤さんの10m上の隣家は津波の被害を受けていない。津波が襲った場所とそうでない場所とでは、雲泥の差があるのだ。津波が襲った家は壊滅である。

泥の中から出てきたアルバムや賞状は、家族にとっては思い出の品物である。

汚れているからと判断して勝手に処分してしまわないことだ。

 午後3時に佐藤さんの奥さんに作業状況を見てもらい、次回も依頼したい時は、ボランティアセンターへ申し出る。ボランティアセンターから借りた道具があればセンターへ返し、作業終了報告をして、すべての作業が終了となる。

 現地にはトイレがないので、休憩時間に車でコンビニ等のトイレを借りなければならない。4班のお昼の休憩場所は、国道45号線沿いの「花の道」というパーキングエリアにした。そこは敷地内に仮設気仙沼警察署と屋外トイレ、外で昼食がとれるテーブルとイスがあったのでちょうどよかった。

 

3 2日目のボランティア

 2日目は、昨日と代わって、朝から雨が降っていた。1、2、4班の15名は、気仙沼市内のコーポ渡辺へ、 3班は、みのや商店へという予定であったが、雨のため両方ともいったんキャンセルとなった。そして、ボランティアセンターに9時に集合し、再マッチングすることとなった。ボランティアセンターでは、個人ボランティアが全国から集まっている。ボランティア登録をすませ、背中に自分が望むボランティア作業を書いたゼッケンをガムテープで貼っている。たとえば、「そうじ」、「泥だし」などと書かれたゼッケンを見て、マッチングがおこなわれる。

ボランティアセンターには、全国の社会福祉協議会の職員が交替で詰めており、センターのスタッフが、依頼主の家まで車で送ってくれる。センターのスタッフは、送迎、巡回、道具の配達などを通じて、依頼者のニーズとボランティアの進み具合をチェックしているのだ。ちなみにセンターで、道具の貸借担当の腕には、「大阪府柏原市社会福祉協議会」と書かれていた。


我々15名は再マッチングの結果、結局コーポ渡辺へ行くこととなった。

コーポ渡辺は、気仙沼湾から700m離れているが、2本の川に挟まれており、津波は川を遡上し襲ってきた。コーポ渡辺は、2階建て6戸の共同住宅で、1階3戸が津波の被害にあった。

2階の床まで津波が来たといっていた。所有者の渡辺さんは70歳ぐらいの方で以前まぐろ船に乗っていたという。3月11日当日、ここのコーポ渡辺にいた時に地震に遭い、テレビのニュースで大津波が来ることを知り、一目散に高台へ避難したという。幸い、コーポ渡辺の住民の方も無事であったということであった。

 渡辺さんがボランティアを頼んだのは、これが3回目で、街中の道路やコーポ渡辺の周囲も木材やがれきで埋まっていたという。2ケ月かかってやっと道路もコーポの周りもがれきが撤去できたのだという。

 

 コ-ポの床は剥がされて、石灰が蒔かれてあった。我々の作業は、1班1戸ずつに窓ガラス、網戸、壁を清掃することだ。2階には、避難所へ行くより自宅の方が良いと住民が住んでいる。しかし、下水が復旧していないので、あまり流さないように市から指導を受けているそうだ。さっそく窓ガラス、網戸を外し、石けんで洗ったが、レールやサンの間に泥が詰まり、水の力で吹き飛ばせなければ取れない。窓ガラスもガラスが割れて変形している。玄関ドアも変形して閉めることができない。本日は4時間かけて清掃をすることができ、渡辺さんも喜んでいただいた。

 渡辺さんに、「コーポの写真をとってもいいですか?」と聞くと「ええ、いいですよ。」といってくれたが、写真撮影には、注意が必要だ。私は、休憩時間に津波が遡上した川の写真を撮っていたが、「被災者の方の家は写さないようにしてください。」と付近の方の忠告を受けた。被災者の家を撮るつもりはないが、カメラをもってうろちょろするのは誤解を受けそうでやめておいたほうがよさそうだ。

 

 最後に

 東日本大震災で被害を受けられた方々にお見舞い申しあげますとともに、これから大変ですが復興を願っています。

 今回、長い復興の道のりの中のほんの2日間お手伝いさせていただいた。ここで得た体験を関西でも伝え、さらなる支援を広めたいと思う